新緑が清々しい6月、「ウィリアム・モリス 原風景でたどるデザインの軌跡」を鑑賞するために宮城県美術館を訪れた。
さらに、猛暑の8月中旬、「ヨーロッパの宝石箱 リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展」の鑑賞で、再び宮城県美術館を訪れた。
杜の都・仙台にある宮城県美術館を訪ねて
宮城県美術館について
宮城県美術館は、杜の都・仙台の青葉区川内元支倉にある県立の美術館である。
本館と、本館の西隣に別館として彫刻家・佐藤忠良氏の作品を展示する佐藤忠良記念館がある。1981年(昭和56年)に本館が、1990年(平成2年))に佐藤忠良記念館が開館した。
近くには広瀬川が流れ、東北大学川内キャンパスもあり、自然に恵まれた場所に立地している。
ここから少し南へ行くと、仙台国際センターや仙台市博物館、そして青葉城趾へとつながる、文化的に貴重なエリアになっている。
1981年(昭和56年)に竣工した本館は、地下1階、地上2階建ての建物で、設計は前川國男建築設計事務所である。
前川國男は1905年に新潟で生まれ、1928年東京大学建築学科を卒業するとフランス・パリに渡り、建築家ル・コルビュジエに弟子入りした初めての日本人となった。
師であるル・コルビュジエは、1887年スイスで生まれ、フランスで主に活躍した建築家で、モダニズム建築の巨匠といわれ、特にフランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」として位置づけられている。
東京・上野恩賜公園にある国立西洋美術館本館は、ル・コルビュジエの設計であり、この時の実施設計・監理には前川國男などル・コルビュジエの弟子が携わっている。後に新館が、前川國男の設計で作られている。
前川國男の建築作品には「エスプラナード」或いは「憩いの広場」と呼ばれる外部空間が存在し、その空間を「人が憩いを持ちながら、目的もなく歩く中庭的広場・遊歩道」と説明している。
ある対談のなかで「ぼくはね、中庭に対するイメージをコルビュジエに教わったと思うんだ。ヴェルサイユのなかを一緒に歩いているときに、ここがとてもいいっていう、そのわけを、コルビュジエが一所懸命ぼくに説明してくれた」と述べている。
参考:平成 25 年度 日本大学理工学部 学術講演会論文集
「建築家・前川國男の『エスプラナード』の形成過程に関する一考察」今野政憲・ 大川三雄
周辺の自然環境と一体になるように設計され、建物それ自体が芸術作品として高く評価されている。
宮城県美術館の建物は1983年(昭和58年)に第24回BCS賞(一般社団法人日本建設業連合会により、日本国内の優秀な建築作品に与えられる賞)を受賞した。1998年(平成10年)には当時の建設省が企画した公共建築百選に選ばれた。
前庭の彫刻作品「マアヤン」
建物の周辺にはたくさんの彫刻が設置されているが、中でも前庭には、世界的彫刻家ダニ・カラヴァン氏の作品「マアヤン」が設置されている。
ダニ・カラヴァン(Dani Karavan, 1930年12月7日生まれ テル・アビーブ)はイスラエルの彫刻家。周囲の環境や都市などの景観と同化した屋外作品で知られる。
河北新報の電子版(2020/8/24)に次のように紹介されている。
8本の列柱とその足元を縫うように走る水路から成る作品は1995年、県が7000万円で購入。全国4カ所あるカラヴァン氏の作品のうち、初めて美術館に設置された。
河北新報電子版2020/8/24
県美術館の浜崎礼二副館長によると、カラヴァン氏は自然や街並みの景観や気候、歴史的条件に調和した「環境彫刻」の代表的作家。
前庭に立つケヤキと建物の間に列柱を配し、最後の1本を白く塗装した美術館の柱に兼ねさせることで、連続性と一体感を表現した。
一見同じ高さに見える列柱は斜面に合わせて長さを変えるなど、細かい配慮が施された「オーダーメード作品」だ。
浜崎副館長は「季節で変わる影の長さも計算して作っている。この場所にあるからこそ成立する作品」と解説する。
<美術館前庭の「環境彫刻」どうなる 宮城県の移転構想、制作者側も注視> 現在は削除されています(2021/10/6)
宮城県美術館は現在、仙台市内の他区へ移転する計画が検討されていて、河北新報の記事は、高い芸術性を持ったこの彫刻作品を失ってもよいのか、県民の貴重な財産を失ってもよいのか、と問いかけている。
「ウィリアム・モリス 原風景でたどるデザインの軌跡」を鑑賞
新緑が清々しい6月、「ウィリアム・モリス 原風景でたどるデザインの軌跡」を鑑賞。
ウィリアム・モリスについて
ウィリアム・モリスについて、美術館のホームページに以下のように紹介されている。
ウィリアム・モリス(1834~1896)は、芸術家、詩人、作家、思想家、社会運動家など、多彩な分野で活躍した19世紀の英国を代表する偉人として知られています。
<宮城県美術館 展示ホームページ>
「モダンデザインの父」とも称され、先駆的なデザイナーとしてアーツ・アンド・クラフツ運動を先導しました。
展示の紹介
展示では、モリスの幼少期や学生時代から晩年に至るまで、デザイナーとしてのモリスの生涯を辿りながら、その時々の作品を多数紹介している。
モリスの制作活動は「住まい」、「学び」、「働いた場所」など、その時々の環境と深いつながりを持ちながら行われており、特に植物の模様の壁紙やステンドグラスなどの作品が印象的である。
また本展では、写真家・織作峰子氏が撮影した風景とともに、そのデザインの軌跡を辿っているのも興味深い。
織作峰子(おりさく みねこ)プロフィール
1960年(昭和35年)、石川県小松市生まれ。
日本の写真家。大阪芸術大学写真学科教授。
1981年(昭和56年)、写真家・大竹省二氏と出会い、翌年より大竹氏に師事(大竹スタジオ入門)。
1981年(昭和56年)、ミス・ユニバースに日本代表として出場。
1985年と1986年には、作品を二科展に入選させている。この間広告等にも出演し美貌写真家として名を馳せた。
1987年に独立。
1989年からの2年間は、アメリカ合衆国・ボストンに暮らした。
その後日本に帰国し、テレビ、雑誌、講演等、幅広いメディアに出演するとともに、大学教授にも就任している。
また、スイス政府観光局の依頼によって、スイス各地での撮影を行った。
参考:ウィキペディア(Wikipedia)<織作峰子>
モリスのデザイン思想
イギリスでの産業革命により、工場で大量生産された商品があふれるようになった反面、かつての職人は労働の喜びや手仕事の美しさも失われていく。そんな中でモリス商会を設立し、様々なインテリア製品や美しい書籍を作り出していく。
生活と芸術を一致させようとするモリスのデザイン思想とその実践(アーツ・アンド・クラフツ運動)は各国に大きな影響を与え、20世紀のモダンデザインの源流にもなったといわれている。
参考:ウィキペディア(Wikipedia)<ウィリアム・モリス>
「ヨーロッパの宝石箱 リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展」を鑑賞
8月には、「ヨーロッパの宝石箱 リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展」を鑑賞。
展示の紹介
美術館のホームページに以下のように紹介されている。
リヒテンシュタイン侯国は世界で唯一、侯爵家(君主)の家名を冠する国です。オーストリアとスイスにはさまれた小国ながら、世界屈指の規模を誇る美術品の個人コレクションを有し、その華麗さが宝石箱にもたとえられます。
<宮城県美術館 展示ホームページ>
本展では、侯爵家秘蔵のルーベンス、ヤン・ブリューゲル(父)、クラーナハ(父)を含む、北方ルネサンス、バロック、ロココを中心とする油彩画と、ヨーロッパ屈指の貴族の趣向が色濃く反映されたウィーン窯を中心とする優美な陶磁器、あわせて126点を紹介します。
貴族の宮廷の空間を彷彿とさせるような優雅な西洋絵画と陶磁器の共演を是非お楽しみください。
こういう国があることを初めて知った。
美術品を守り抜いたリヒテンシュタイン家
リヒテンシュタイン家はかつてハプスブルク家に仕え、1719年に神聖ローマ皇帝によりリヒテンシュタイン候国として認められ、現在も侯爵家が元首を務めている立憲君主国家とのことである。
ウィキペディア<リヒテンシュタイン家>には、次のように記されている。
リヒテンシュタイン公国はきわめて小規模な国家だが、リヒテンシュタイン家が国外に持つ所有地は公国の何倍もの面積にもなる。
ウィキペディア(Wikipedia)<リヒテンシュタイン家>
リヒテンシュタイン家はこの財力を基礎として、18世紀以来、文化・芸術の保護者としても活動している。
また、リヒテンシュタイン家は公国から歳費を支給されておらず、経済的に完全に自立している。
リヒテンシュタイン家が私有する財産も公国とは無関係に、ハプスブルク家の重臣として蓄積されたものである。
その長い歴史の中で、侯爵家が収集してきた美術品は3万点を超える。
第二次世界大戦の時には、当時オーストリアに収蔵していた多くの美術品を密かに運び出し、ナチスドイツから決死の覚悟で守り抜いたという。
芸術を愛し守り抜いた、リヒテンシュタイン家の熱い思いが伝わってくる展示会であった。
二つの展示会を観賞して
自然を愛し身近な植物から壁紙などのデザインを生み出し続け、「モダンデザインの父」と謳われたウィリアム・モリス。
優れた美術品には惜しみない愛情を注ぎ、長い年月を守り抜いてきたリヒテンシュタイン侯爵家。
この二つの展示会を観賞して、優れた芸術は時代を超えて語りかけてくる力を持っている、という事を改めて教えられたような気がする。
移転問題は、この「宮城県美術館」が持っている高い芸術性と、長年にわたり刻まれてきた歴史的価値を、どのように受け止め、どのように継承していくのかが問われているのかもしれない。
<その他の主な参考サイト>
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